参勤交代には様々な身分の人が参加していました。
また、その大名行列の規模も各藩で異なっていました。
この記事では、参勤交代時の大名行列に参加していた役割・身分と大名行列の人数・規模を解説します。
どんな人が参加していたか? その身分
大名
参勤交代とは、藩主や交代寄合(将軍直参の旗本でありながら、自分の領地に居住することを許された人達のこと。三十余家がありました)に原則として義務付けられた江戸への参勤であり、当然のことですが、大名が参加しています。
ただし、参勤交代が免除された家もありました。水戸徳川家は江戸定府(江戸に常駐すること)でしたし、水戸藩の御連枝(江戸時代においては、御三家からの分家で立潘した家を指す)である森山藩、府中藩、宍戸藩も江戸定府でした。
紀州徳川家の分家である西条藩、吉井藩もまた江戸定府でした。
他にも複数の藩の大名家が江戸定府とされており、そういった藩の大名は参勤交代は義務ではありませんでした。
ただし、物価の高い江戸に常にいなければならないというのは各藩の財政の負担にもなりました。
参勤交代にかかる旅費などの費用よりも物価高の江戸での生活の方が費用が掛かっていたとも言われます。
変わったところでは、喜連川藩の喜連川家も参勤交代の免除と妻子の国許での生活が許可されていました。
喜連川家は、室町幕府の足利将軍家の支族(室町幕府初代将軍足利尊氏の四男であり初代鎌倉公方である足利基氏の後裔)であり、源氏を自称し源氏長者となった徳川家康からすると源氏の名門である足利家を軽んじるわけにはいかずその高い格式を認めざるを得なかったので、家康以降の徳川家の将軍たちも喜連川家を軽視できなかったのです。
喜連川藩の石高は4500石程度なので、大名の定義からは外れますが、大名扱いされていましたし、参勤交代の義務も負っていなかったので、交代寄合でもないという江戸幕府の幕藩体制からは外れた存在でした。
また、五島列島の五島藩(福江藩)は、江戸時代後期には外国船の見張り役を果たす代わりに参勤交代を免除されていました。
武士
武士も当然、大名行列に参加します。武士には、馬に乗ることの出来る武士と馬に乗ることの出来ない徒士があり、大名行列を描いた当時の絵画などでは、その両方を確認できます。
また、大名に直接仕えている武士と大名に直接仕えている武士に仕えている武士(陪臣と言います)がいました。
足軽
鉄砲や弓などを携える足軽たちも参勤交代時の大名行列に参加していました。
参勤交代は、本来は軍役であり、武家の長である将軍に軍事力を以て奉仕するのがその目的であるので、鉄砲や弓を扱うことの出来る足軽の参加は欠かせませんでした。
武家奉公人
武家奉公人とは、江戸時代では武家に奉公する武士以外の身分の人達を指します。
中間や小者と呼ばれる人たちがこれに該当します。

参勤交代のときの大名行列の最大人数は何人? 大名行列の規模・長さ
家格・石高で規模が決まるが、時代によっても異なる
各藩の規模によって動員できる人間の数が違ってきます。
また、家格が高い家はそれ相応の人数を揃える必要もありました。
上記したように、本来は軍役だったので軍事行動を想定した旅装だったのですが、平和な時代になると、各大名家がその威信のために見栄を張るようになり、幕府から義務付けられた人数を越えた行列を仕立て、服装も華美なものへと変容していきました。
幕府から義務付けられた人数は時代によっても異なりますが、徳川幕府八代将軍徳川吉宗の時代では、一万石の大名ならば、総勢で50人ほど、五万石ならば約170人、10万石ならば240人まで、20万石以上ならば450人程度と定められていました。
ただし、これは、上記したように、各大名家の大名行列が派手になりすぎそして人数も多くなりすぎたために各藩が疲弊しすぎているので大名行列の規模を規制したものであって、吉宗以前の時代にはこれよりも多くの人数が動員されていました。
特に規模が大きかったのは江戸時代の大名のなかでも最大の石高を誇った加賀藩の前田家の大名行列です。
加賀藩の四代藩主前田綱紀の大名行列は4000人という大規模なもので、このような大行列で移動するためには人と人との間に間隔を置かねばならないので、これほどの長さになるとその行列の長さは短く見積もっても数kmにもなります。
どうしてこれほどまでに大人数になるかというと、上記した見栄を張るためという理由に加えて、加賀藩の家臣には他の大名家に匹敵するほどの石高を持つ家もあり、そういった家の主が連れ歩く陪臣の数も相当なものになるからです。
(加賀藩の家臣には、五万石の領地を持つ本田家や三万三千石の長家などがいます)

また、臨時雇いも行われていました。
臨時に雇われた人足(肉体労働者)は主に荷物の運搬などに従事しており、行列に参加する3割以上が臨時雇いの人足ということありました。
また、そうした臨時雇いのなかに美男子がいると目立つ毛槍を担がせていました。
こうした美男子の日給は荷物の運搬よりも高かったので、イケメンが得をするのは今も昔も変わらないようです。
なお、「参勤交代は各大名家の財政に負担をかけて疲弊させるために行われた」という説がありますが、これは今では支持されていない説です。
結果としてはそうなったのだが、幕府の目的は軍役奉仕と各大名家の幕府への忠誠心の確認と各大名家への統制であったとする説が学界では有力です。
以上、参勤交代に参加した身分と人数、規模などを解説しました。多くの人たちが参加したいたことが御理解頂けたと思います。
