参勤交代時の大名行列では、武装も携えた様々な役割の人達が隊列を組んで長距離を移動していました。
この記事では、大名行列の構成と隊列を説明します。
大名行列の並び順・隊列・役職・構成は? 誰が先頭?
大名行列の隊列・構成を解説していきましょう。
先払い
大名行列の先頭で、交通の便宜を確保する役割を担うのが先払いです。時代劇などで「下にぃ~~、下にぃ~~」と民衆に声を掛けている人達と言えば、なんとなく想像が付くのではないでしょうか。
ただし、「下にぃ~~、下にぃ~~」という掛け声を使えたのは紀伊藩と尾張藩のみ。御三家(水戸藩の藩主は江戸定府なので参勤交代はなし)にしか許されていませんでした。他の大名家は「よけろー、よけろー」などとより平易な言葉を使います。
また、このような掛け声を出していたのは武士ではなく、臨時雇いの人足(肉体労働者)でした。
弓隊
弓を携えた足軽達を中心とした部隊です。戦国時代に鉄砲が普及してもなお、弓は戦国時代から江戸時代を通じて有力な武器であり続けました。
槍隊
槍を担いだ中間(武家奉公人の一種)達が目立つ部隊です。徒士も含まれています。(徒士は下級とは言え武士なので、身分は中間より上です)
槍は武家の象徴であり、槍の鞘や柄などに各大名家毎の特徴があり、その特徴からどの大名家の行列なのかを識別することも可能でした。
鉄砲隊
鉄砲で武装した足軽達の部隊です。鉄砲を江戸に持ち込むためには鉄炮手形と言われる老中発行の証明書が必要で、この鉄炮手形には老中の印、どれだけの鉄砲があるのか、所有者、出発地及び目的地が記載されていました。
本陣
大名行列の主役である大名を中心とした部隊です。大名を警護する小姓、雑用をこなす御供番、大名の帯刀や持弓、衣類、文書、具足などを持ち運ぶ人、馬印を掲げる人、毛槍を担ぐ人などなど、多彩な役割を果たす人たちが随伴しています。
輜重隊
参勤交代では大名は一定の期間、江戸にいなければなりません。江戸での長期の生活を支えるためには多くの日用品が必要であるのは当然です。また、大名行列そのものも長距離の移動であったので様々な物資が必要でした。
そういった物資を運搬するための部隊です。
家が違えば並び方も違う?
上記した隊列の並びは酒井雅楽頭家のものです。全ての大名家がこのような順番で大名行列を行っていたわけではありません。
ただし、参勤交代は、本来は軍役奉仕が目的の制度でしたので、大名行列も行軍の性格を持っていますから、弓隊と鉄砲隊の順序が違うなどの細かな違いはありますが、基本的には次のように並んでいました
1 先払いを先頭とした(弓隊、足軽隊を含む)前衛部隊
2 大名を中心とした本陣
3 大名に仕える武士たちの騎馬隊
4 輜重隊
足軽達を前にだし、総大将が率いる部隊がそれに続き、精鋭の騎馬隊が後に控え、最後に物資の輸送・運搬を担う輜重隊という行軍の隊形であったわけです。

将軍の上洛のときは?
京に入ることを上洛と言いますが、江戸時代では、四人の将軍が大規模な軍勢・行列を仕立てて京都に上洛しています。
初代家康、二代秀忠、三代家光、そして十四代の家茂がその四人。特に三代将軍家光の1634年の上洛の際には譜代大名、外様大名の軍勢を動員しましたので、三十万以上の大軍で上洛を果たしています。
初代から三代目までは征夷大将軍の宣下(天皇の命を伝達する文書を公布すること)を受けるためや豊国社臨時祭、秀忠の娘和子の入内、武家官位を幕府の奏請によるものにするため、英国からの書簡を捧呈するためなどの様々な理由で京都に上洛しています。
ですが、四代将軍家綱は将軍就任時に若年であったため、勅使が派遣されて江戸で宣下を受けており、以降、江戸で宣下を受けるのが慣例となったので、四代目から十三代目までの将軍は上洛していません。(十四代将軍家茂が上洛したのは朝廷から攘夷の要請があったため)
先述したように家光の1634年の上洛の際には三十万以上の軍勢が動員されましたが、当時あった藩のほとんどが動員されていました。(当時の藩の数は185)
また、このとき、家光は、父秀忠の隠し子で異母弟である保科正之に供奉の先発隊を申し付けています。供奉の先発隊は大役であり、当時の正之は高遠藩三万石の大名だったので破格の扱いでした。家光は有能な正之を可愛がっており、正之が将軍の実弟として別格のことを示したのです。(のちに保科正之は山形藩二十万石に入封され、そこから会津藩二十三万石に入封されている)
このように、将軍の上洛は特に大規模な行列でした。

以上、大名行列の構成と隊列を説明しました。
