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2つの大名行列が出くわしたら、すれ違いはどうやって対応した?喧嘩やトラブルはあった?

参勤交代の際に、全国各地から各藩が大名行列をなして、江戸と藩とを行き来をしていました。

現代のように、数多くの道があったわけではないため、大名同士がすれ違うこともあったのではないでしょうか。

藩を代表して道中を進む者同士、すれ違いの際に喧嘩やトラブルがあったのではと想像します。

本記事では、2つの大名行列が出くわしたら、すれ違いはどうやって対応した?喧嘩やトラブルはあった?という疑問にたいして解説します。

目次

2つの大名行列のすれ違い時の対応

刀と刀がぶつかるだけで、斬り合いに発展するような時代に、大名行列がすれ違う際には緊張感が走ったことでしょう。

こちらでは2つの大名行列のすれ違い時の対応を、3つのケースについてまとめます。

また、トラブルや喧嘩に発展しないために行われていた工夫についても解説します。

相手が格上の場合

大名の格は、官位や石高によって上下がきまっていました。

すれ違う大名行列の格が自分たちよりも格上の場合、格下の大名は礼を尽くして道を譲っていました。

具体的には、駕籠を止め、降りるようなしぐさを示すために、草履を履いて片足を出し頭を下げます。

それを受けて、格上の大名は駕籠の扉を開けて目礼で応じます。

相手が同格の場合

相手が同格の大名の場合は、譲り合いが行われます。

往来を譲り合って駕籠を止め、扉を開けてお辞儀をしあい、礼を尽くします。

どちらかが先行を譲らずに、喧嘩やトラブルになることは少なかったようです。

相手が御三家の場合

大名行列の格の中で、最上位にあったのが徳川御三家です。

それ以外は、幕府に支配される側という共通点はありますが、徳川御三家は支配する側なので特別です。

徳川御三家とすれ違う際には、大名は駕籠を降り、丁寧に頭を下げました。

すれ違わないための工夫

このように、格上、同格、御三家とそれぞれに合った対応が必要でした。

ただ、プライドの高い大名をはじめ、すれ違う際のトラブルや喧嘩を避けたい大名は、すれ違いが発生しないように対処していました。

具体的には、大名行列に先立って偵察を出し、他の大名や御三家がいないかを探っていました。

もし、他の大名行列に遭遇しそうになれば、道を変えたりしていたそうです。

大名行列のすれ違いから起きた喧嘩やトラブル

大名行列がすれ違う際には、トラブルや喧嘩が起こらないように、礼儀を尽くしたり、道を変えたりが行われていました。

それでも、トラブルや喧嘩が全くなかったかと言うとそうではありません。

ここからは、すれ違いから起きた喧嘩やトラブルについてまとめます。

加賀藩と綾部藩のトラブル

1798年には、天候の影響があり川留めとなってしまった加賀藩前田家と綾部藩九鬼家がすれ違いました。

本来であれば、綾部藩九鬼家は格下にあたるため、加賀藩前田家に遠慮するところです。

ただ、この時は格上である加賀藩前田家が遠慮し、遭遇を避けるために手前の宿でやり過ごしたとの事です。

喧嘩を避けるために、このような小さなトラブルは起こっていたと思われます。

相馬藩と会津藩のトラブル

1818年には、格下の相馬藩が先に宿場に到着していたのですが、格上の会津藩が来たため、譲らないといけなくなりました。

寛いでいたところ追い出された相馬藩の家臣は、忘れ物の槍を見つけ、これを使って仕返しを行います。

槍を受け取ろうと訪れた会津藩の家臣に対して、罵詈雑言を浴びせます。

会津藩の家臣は激高し、相馬藩の家臣を斬りつけるという事件を起こしてしまいます。

参勤交代で使われた五街道

ここまで、大名行列のすれ違いについて、対応方法やトラブルについてまとめました。

現代であれば、道路網も発達しているため道を変えることは容易いと考えられるでしょう。

ただ、当時は整備された道路網は限られており、大名行列で利用できる陸路は限られていました。

ここからは、江戸時代に整備された五街道についてまとめます。

東海道

東海道は、江戸・日本橋と京都三条大橋を結ぶ街道で、距離にして492kmあります。

大井川などの難所があり、関所は箱根や新居に設けられていました。

著名な文学作品や浮世絵などでも取り上げられています。

中山道

中山道は、東海道と同様に江戸と京都を結ぶ街道で、距離は東海道より長く526kmあります。

東海道が大井川などの難所が多いことや、入り鉄砲に出女の取り締まりが激しかったことで、中山道を選ぶものもありました。

甲州街道

甲州街道は、江戸から甲斐の国(今の山梨県)を結ぶ街道で、長さは209kmあります。

下諏訪で中山道で合流しており、五街道の中では最も新しく整備されました。

距離は中山道より短いが、インフラの整備が劣っていることなどから、利用する大名は多くはありませんでした。

日光街道

日光街道は、宇都宮から日光東照宮を結び、長さは147kmと五街道の中で最短です。

日光東照宮は、江戸幕府の初代将軍徳川家康が祀られており、その参拝道としての役割も担っていました。

奥州街道

奥州街道は、日本橋から宇都宮を経由して白河を結び、長さは192kmありました。

奥州や蝦夷と江戸を結ぶ重要な街道で、海産物などを運ぶのに重宝されていました。

まとめ

ここまで、2つの大名行列が出くわしたら、すれ違いはどうやって対応した?喧嘩やトラブルはあった?との疑問に対して、解説を行いました。

江戸幕府により太平の世の中になり、争いが減ってもなお、武士は高いプライドをもっていたことが伺いしれます。

喧嘩やトラブルを避けるために、時には頭を下げる武士の姿から、我々も学ぶべきことがあるかもしれませんね。

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