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大名行列の切り捨て御免、無礼討ち、手打ちの意味

時代劇では、「無礼もの!」の一言と共に、相手を切り捨ててしまう場面を見かけることがあります。

あまりにも印象的な場面なので、江戸時代ってそんなに人が斬られる時代だったのだろうかと思う方もいるでしょう。

切り捨て御免、無礼討ち、手打ちなど、表現はさまざまですが、実際はどのような時代だったのでしょうか。

本記事では、江戸時代の名物の一つ、参勤交代で見られた大名行列を舞台に、切り捨て御免についてまとめます。

目次

切り捨て御免、無礼討ち、手打ちの意味とは?

「切り捨て御免」「無礼討ち」「手打ち」という表現がありますが、基本的にはすべて同じ意味です。

切り捨て御免は、江戸時代に使われていた言葉ではなく、後世の呼称で、当時の資料では「手討」「打捨」と記述されています。

武士が耐え難い「無礼」を受け、何度警告をしても止めない場合に、斬っても構わないとされていたことから「無礼討ち」と言われています。

大名行列に与えられていた特権

ここで、大名行列がどれほど特権を与えられていたかについてまとめます。

参勤交代で、多額な費用と時間をかけて、所領と江戸とを行き来する大名行列が、どれほど優先されていたかが理解できるでしょう。

通行人に道を譲らせる

将軍家と徳川御三家は「下に~、下に~」の掛け声と共に、通行人や周囲の人間を道の端に寄らせ、土下座を求めていました。

そのほかの大名行列では「片寄れ~、片寄れ~」の掛け声と共に、道を譲るように促していました。

今ほど道路網が成立しておらず、大人数の大名行列が通れるほどの道が限られる中、最優先で通行可能だったのが大名行列です。

河川の渡し場で川留

現代のように橋が各所にかけられていなかった江戸時代では、河川の向こう岸に移動するには、徒歩か船で渡るかのどちらかでした。

渡し場が決められており、勝手に迂回して渡ることが許されていませんでした。

大名行列が渡し場に差し掛かると、川留が行われ、旅人たちが渡し場を使えず、行列が優先されていました。

無礼な行為には切り捨て御免

大名行列を横切るなど、無礼な行為を続けたものを切り捨てて構わないという特権がありました。

産婆や飛脚と言った特定の職業で、横切ることが許されてはいましたが、それ以外の人には固く禁じられていました。

ただ、実際に、切り捨て御免に至ったケースは多くはなかったようです。

大名行列の無礼討ちの発生例

ここからは、大名行列にて無礼討ちにまで至ってしまった事件についてお伝えします。

生麦事件

生麦事件は、1862年に起きた事件で、後に、薩摩藩とイギリスとの間の戦争にまで至ってしまいます。

薩摩藩主島津茂久の父久光の行列に、4人の騎馬のイギリス人が遭遇したことから始まります。

行列を先導するものが、4人に気づき、下馬をするように身振り手振りで伝えようとします。

4人はそれを見て、脇によると言われたと思い、下馬せず道をあけようとします。

ただ、行列の規模が大きく、道一杯に広がっていたことから、4人は行列を逆行する形に巻き込まれてしまいます。

そのまま、久光の駕籠に近づいてしまったことで、共の者たちが切りかかってしまいます。

この事件はその後、収拾されることはなく、薩英戦争にまで至ってしまいます。

松平斉宣の幼児無礼討ち

明石藩第8代藩主の松平斉宣が、参勤交代で大名行列を組み、尾張藩を通過中に、3歳の幼児が横切ってしまいます。

この幼児は、捕まえられて、本陣に連れて行かれます。

村民たちは、幼児の助命を嘆願しに、斉宣の元を訪れますが、許されず処刑されてしまいます。

尾張藩は、この処置に激怒をし、明石藩主の通行を今後認めないとのお達しをだします。

それ以降、明石藩は尾張藩内では行列をつくらず、農民や町民に変装して通過したといわれています。

この話をモデルにしたと言われているのが、映画「十三人の刺客」です。

無礼討ちの厳しい規定

大名行列や武士の特権であった無礼討ちですが、実際に無礼討ちとして認められるには厳しい規定がありました。

その規定は、江戸幕府8代将軍徳川吉宗によって定められた「公事方御定書」の中に明記されています。

よって、我々がイメージするように、江戸時代には無礼討ちがたくさんあったというわけではないようです。

証人や証拠が必要

無礼討ちが認められるためには、「やむを得ない」と認められるほどの無礼があった場合に限られました。

「無礼」の認定は、自己申告では認められず、客観的な証人や証拠が必要とされていました。

万が一、無礼討ちの正当性が認められない場合には、通常の殺人以上の罪に問われてしまいます。

武士には高い精神性が求められているにも関わらず、自らを律することができずに殺人に及んだと評価されてしまいます。

結果、対面を保つ切腹は許されず、打ち首で処罰に至ります。

正当性が認められても…

証人や証拠が揃っていて、無礼討ちの正当性が認められたとしても、制限はありました。

まずは、速やかに奉行所に届け出る必要がありましたし、その上で、二十日以上の自宅謹慎が課せられます。

証拠品は没収され、出頭を命ぜられれば奉行所に赴かないといけませんでした。

まとめ

ここまで、大名行列を舞台に、切り捨て御免、無礼討ち、手打ちの意味についてまとめました。

現代に生きていると、まったく想像できない制度ですが、当時の武士の誇りに対する意識を垣間見ることが出来ます。

思っていたほどの件数は、実際にはなかったものの、戦争や藩同士の対立にまで至ってしまったとは恐れ入ります。

武士の心を律する姿勢を参考に、人を手打ちにせず、生きるようにしたいものですね。

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