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子供が大名行列を横切るとどうなった?実例はある?

江戸時代の参勤交代時などで見られる大名行列は、特権が与えられており横切ることのできる職業は限られていました。

大人であれば、その事情も理解でき、気を付けることもできたと思われますが、子供の場合はどうだったのでしょうか?

本記事では、子供が大名行列を横切るとどうなったのかを解説します。

目次

子供が大名行列を横切るとどうなった?

子供には大人の事情は通じず、現代においても、ボールを追いかけて道に飛び出してしまうなんてことがあります。

同様に、いくら大名行列を横切ってはいけないと言われても、子供の場合はそうではなかったでしょう。

ここでは、大名行列の特権について解説し、それにより子供はどう扱われたかをまとめます。

大名行列に与えられた特権

大名行列には「無礼討ち」の特権が与えられていました。

これは、大名行列を横切るなど、無礼を働いたものにたいして、切り殺しても構わないというルールです。

江戸時代末期には、この無礼討ちから薩摩とイギリスとの戦争に発展した「生麦事件」が発生しています。

子供が大名行列を横切ると?

そんな特権が与えられている大名行列を、子供が横切ると無礼討ちをされていたのでしょうか?

実際は、そのようなことはほぼ無く、子供は連れていかれ、お仕置きを受け、村役人が詫びて引き取るという事が多かったようです。

実際、蘭学者の渡辺崋山は、子供の頃に大名行列を横切ったものの、折檻されるだけで許されたそうです。

大名行列を横切ることのできた職業

無礼討ちにされないまでも、子供にまでお仕置きのある大名行列の横切りですが、許された職業がありました。

それは、医者・産婆と飛脚です。

医者と産婆は、人命が関わっている場合に、一刻も早く駆け付けなければならないためです。

飛脚は、重要なものを運んでおり、一秒でも早く届ける必要があったためです。

子供の横切りから生まれた確執

無礼討ちにされないまでも、子供にまでお仕置きのある大名行列の横切りですが、許された職業がありました。

それは、医者・産婆と飛脚です。

医者と産婆は、人命が関わっている場合に、一刻も早く駆け付けなければならないためです。

飛脚は、重要なものを運んでおり、一秒でも早く届ける必要があったためです。

尾張藩と明石藩の確執

明石藩の松平斉宣が大名行列を行っていた際に、猟師源内の子が大名行列を横切ってしまいます。

その子は三歳児だったのですが、家臣たちが取り押さえ本陣に連れ帰ります。

村の役人たちが引き取りに行くも、松平斉宣は幼児を切り捨てます。

その地の領主であった尾張家は、激怒し今後の通行を禁止するのでした。

明石藩は、尾張藩の通行時には身を隠して進むことを余儀なくされてしまいます。

尾張藩とは?

尾張藩は、現在の愛知県西部にあった藩で、徳川御三家の筆頭格にある家です。

初代藩主は、徳川家康の九男義直で、日本の西方面に対して睨みをきかせる要所でした。

居城の名古屋城は、金の鯱で有名です。

明石藩とは?

明石藩は、現在の兵庫県明石市や神戸市西区などを領していた藩です。

江戸時代初めは、姫路藩池田家の所領の一部でしたが、転封に伴い分割され明石藩が誕生します。

1682年より越前松平家の支配がはじまり、この事件の当事者である8代斉宣は、11代将軍家斉の二十五男です。

江戸時代の子供の生活とは?

大名行列を横切ってしまった子供を、村役人たちが迎えに行くというように、親だけでなく、村が子供を大事にしていたことが伺えます。

ここからは、江戸時代の子供がどのような生活を送っていたのかについてまとめます。

江戸時代はイクメンパパ

江戸時代の子育ては、父親が主体となって行われました。

家の後継ぎとして、立派に育て上げる事が家を守ることに繋がるからです。

学問や家業を懸命に叩き込んでいたと言われています。

父親が働く場所と、住む場所とが近いことが多く、子供は自然と父親の背中を見て、仕事を身に着けていったのでしょう。

さまざまな親に囲まれて育つ

父親だけでなく、もちろん母親も育児に関わっていましたが、それ以外にもさまざまな親が育児に関わります。

へその緒を切る「取り上げ親」、生後の授乳を行う「乳付け親」、名前をつける「名付け親」などです。

江戸時代の子供は、こうやって地域の大人と疑似的な親子関係を築いており、地域で子供を育てる環境が作られていました。

寺子屋での水準の高い教育

江戸時代の識字率は70%〜80%と言われており、これは諸外国と比べると驚くほど高い数値です。

この背景には、寺子屋による教育があります。

6〜7歳で入学し、12〜14歳で卒業することが多く、現代の義務教育くらいの位置付けです。

読み・書き・そろばんを初歩的学習とし、個別指導によって将来に合わせた教育が施されます。

体罰はご法度だった

大名行列を横切ると折檻を受けたと言われていますが、育児・教育においては体罰はご法度でした。

親や地域の人から、言い聞かされることで学びを得ていきます。

大人と子供の間の敷居が低く、子供同士でも面倒を見る機会があったこともあり、一人の人間として成長を果たすことに繋がっていました。

まとめ

ここまで、子供が大名行列を横切るとどうなったか、その事例についてまとめました。

また、江戸時代の子供の生活を知ることで、決して乱暴な時代ではないとわかっていただけたのではないでしょうか。

時代劇のイメージではなく、実際の大名行列に触れる事で、江戸時代の良いイメージに触れていただけたら幸いです。

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