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大名行列で陳情・直訴した結果と民衆の結末

時代劇を見ていると、農民が竹竿の先に書状を括り付け「お願いでございます!」と大名行列の前に飛び出し「無礼もの!」と斬られる名シーンがあります。

悪代官や悪い商人に苦しめられる農民が、何とか声を届けようと行列に飛び出すも、想いは届かず。

現代では、選挙や政治家への直接的な陳情で、想いを伝えられますが、江戸時代には難しかったようです。

本記事では、大名行列で陳情・直訴した結果と民衆の結末について、具体的な事件も交えながら解説します。

目次

大名行列への陳情・直訴はなぜ行う?

江戸時代において、農民などの一般民衆や下級武士は、何かしらの訴えを起こす場合には、所轄の奉行所が取り扱うことになっていました。

奉行所が舞台の時代劇と言えば、大岡越前や遠山の金さんが有名ですね。

一方で、年貢率の問題のように奉行所では対応できない問題や、領主や代官を訴えたい場合には、奉行所を介さずに直接将軍や大名に対して行動を起こしました。

この行動のことを直訴と言い、正式な手続きを追い越していることから、越訴とも言われています。

また、行列や外出の際に、駕籠に乗っている者に対して直訴することも多く、その方法は駕籠訴と言われました。

大名行列への陳情・直訴にはルールがあるのか?

時代劇のイメージもあり、陳情・直訴には年貢の軽減や、悪代官に対する訴えに関するものが多い印象ですが、実際は、さまざまな分野で直訴は行われていました。

毎日、二、三人の直訴が行われていたとの談話も記録されており、直訴自体は日常茶飯事に行われていたようです。

ここからは、日常茶飯事に行われていた直訴の作法と、陳情・直訴を行った者の結末についてまとめます。

直訴の作法

訴えを起こすものは、羽織袴で正装し、「上」と書かれた紙に包んだ訴状を、青竹の先に挟んで待ちます。

行列の前方から、訴状を持って近づいていき、供の者の制止も聞かずに接近を続けます。

再度の制止を振り切り、三度近づこうとすると、供の者から「やむなし」と言われ訴状が受け取られ、身柄は拘束されます。

この拘束は、訴えの詳細を聞き出すためであって、決して処罰を行うためではなかったようです。

事情聴取が行われ、訴状に問題が無ければ、領主などの身元引受人に引き取られて行きます。

訴状に関しては、積極的に介入しなければならないわけではなかったが、必要に応じて対処がとられたようです。

陳情・直訴を行った者の結末は?

直訴を行うと、処罰され、処刑されるとのイメージを持つ方もいらっしゃるかもしれませんが、決してそんなことはありません。

確かに、実際の事件において、直訴を行った者が処刑されたといわれる場合もありますが、ほとんどの場合は処罰されることなく、せいぜい口頭注意だったようです。

実際、大名の転封という幕府の決定事項に対して、領民による反対意見の直訴が行われたときでさえ、領民に対する処罰は行われませんでした。

直訴自体で処罰することはなく、直訴の内容が不届きであったとか、騒動を起こして乱暴を働いたなどのように、直訴以外に問題があって処罰されたことはあったようです。

代表的な直訴事件

とはいえ、時代劇で印象的なシーンを演出している直訴なので、そんなシーンを連想するような事件がなかったわけではありません。

ここでは、代表的な直訴が絡んだ事件を紹介します。

佐倉宗吾の直訴

1653年に、江戸幕府の4代将軍徳川家綱に対して、下総国佐倉藩にある君津村の名主総代である木内宗吾が直訴を行いました。

数年来続いていた不作により大変な飢饉で苦しんでいたにもかかわらず、藩は年貢の取り立てを緩めず、滞納する農家に対して厳しい処分を行う始末でした。

宗吾は他の名主とともに、藩に対して、窮状を訴えるも取り合ってもらえず、将軍に直訴するに至ります。

将軍への直訴は、死罪にもなりうるため、他の名主を引き留め、一人で行動を起こします。

将軍の行列に訴状を持って飛び込んだところ、宗吾は周りの者に取り押さえられます。

将軍は、そののち、訴状の中身を確認し、佐倉藩の状況を調査報告するように指示を出し、年貢が3年間減免されることとなります。

ただし、宗吾は死罪となり、名主たちの助命嘆願もむなしく処刑されてしまったそうです。

寿源太の直訴

1854年に起きた安政の大地震と、その後の高潮の影響を受け、田も畑もダメになってしまった地域がありました。

山を開墾して何かを作ろうとするも、庄屋は役所に取り次ごうとせず、飢え死に寸前まで追い込まれます。

そんな最中、寿源太という若者が立ち上がり、藩主の豊信公が近くを通るとのことで、直訴を計画します。

寿源太は行列に飛び込み、供の者に取り押さえられるも、その声は藩主に届きます。

その後、庄屋は罰せられ、寿源太は、義侠心に溢れた行為だと認められ罰せられるどころか、藩に召し抱えられたそうです。

藩主が参勤交代で江戸に赴く際には、傘持ちとしてお供をしていたそうです。

まとめ

ここまで、大名行列で陳情・直訴した結果と民衆の結末についてまとめました。

時代劇でイメージしていた内容とは違い、陳情・直訴はもっと庶民に身近なものだったんですね。

また、具体的な事件では、命がけの行為が、仲間を救う事に繋がるなど、胸が熱くなるような内容もありました。

江戸時代の人たちの生活を深く知ると、それだけ身近に感じられるようになりますね。

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