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加賀藩・津山藩・薩摩藩・尾張藩・仙台藩の大名行列の規模(人数や距離)や経路(通った道)

参勤交代時の大藩の大名行列は規模も大きく、またその経路にも様々な物がありました。この記事では、加賀藩・津山藩・薩摩藩・尾張藩・仙台藩の大名行列の規模とそれぞれの大名行列の経路を説明します。

目次

加賀藩の大名行列の規模と経路は? 費用もあわせて解説

大名諸侯のなかでも最大の表高102万五千石を誇った加賀藩の大名行列は、各大名家のなかでも特に規模が大きな大名行列であり、経費もかなり掛かっていたものでした。

最低でも2000人、四代加賀藩藩主の前田綱紀の時代には4000人もの規模の大名行列を行っています。加賀から江戸への移動ですから、全日程は12泊13日と日数もそれなりに掛かっています。

費用は5500両程度は掛かっていたようです。一両の価値は、江戸時代初期の米価から計算した場合、初期は1両は10万円、中~後期は3~5万円、幕末は3~4千円と換算されます。

この5500両という費用が記録されているのは、加賀藩十代藩主前田治脩(1745~1810。藩主としては1772~1802)の時代ですので、一両3~5万円で現在の貨幣価値に換算すると1億6500万円~2億7500万円となり、費用も相応に掛かっていたことがわかります。

経路は、現在の北陸新幹線のルートであり、すなわち、金沢から魚津を経由して直江津に出て、そこから長野に南下、長野から追分宿に出て、そこで中山道に合流し江戸に向かうというものでした。

前田育徳会所蔵の加賀藩第四代藩主の前田綱紀像。特に大規模な大名行列を仕立てた。

津山藩の大名行列の規模と経路

津山藩は、織田信長に仕えた勇将森長可の弟である森忠政が美作一国18万石6500石で入部したことにはじまります。第五代藩主森衆利が乱心したために森家が改易され、その後、結城秀康(二代将軍秀忠の庶兄)を家祖とする越前松平家の分家松平宣富が10万石で入部、津山藩は親藩となりました。

津山松平家の第三代松平長煕の時代に5万石に半減しますが、第八代松平斉民の時代には10万石に戻りました。

そんな津山松平家の大名行列は、親藩であることもあってそれなりの規模のものでした。第七代松平斉孝の大名行列では総勢812名での大名行列が記録されています。

大名行列の経路は、津山から佐用(現在の兵庫県佐用町)、御着(兵庫県姫路市御国野町御着)、兵庫と出て、郡山、伏見、石部宿、関宿、桑名と東海道を行き江戸へと向かうものです。

薩摩藩の大名行列の規模と経路

九州の雄、島津家が江戸時代を通じて治めた薩摩藩は表高72万9000石の大藩であり、その大名行列は、規模は1000人以上、距離も江戸からは最遠の1700㎞、日程は最長で60日と長距離、長時間を大規模な大名行列を仕立る大変なものでした。

江戸への経路は初期は海路を利用するものでしたが、中期からは、鹿児島から川内、阿久根と移動して現在の福岡県北九州市門司区までを陸路、本州に渡ってやはり陸路で大坂に、大阪からは伏見を経て、中山道あるいは東海道を使って江戸に向かうという陸路を行くものになりました。

薩摩藩は表高72万9000石とは言っても、実高は耕作には適していないシラス台地(火山の噴出物からなる台地)がその領地の多くを占めるためにその半分程度だったので、この大規模、長距離、長時間の大名行列は薩摩藩への決して軽くない負担となっていました。1万7000両を要したという記録も残っています。

尾張藩の大名行列の規模と経路

尾張藩は、所謂、御三家の筆頭とされる藩であり、諸大名のなかでも最高の格式を有していました。そんな尾張藩の大名行列も表高61万9500石に相応しい大規模なものでした。(実高は、新田開発を推し進めた結果、100万石に近いものでした)

尾張徳川家は、極官も従二位、権大納言と極めて高いもので、同等の武家官位を極官とするのは紀州徳川家しかありません。

その大名行列の経路は、木曽街道・中山道と東海道の二つのパターンがあります。この木曽街道は古くからある路でもありますが、尾張藩が尾張城から名古屋城に本拠を遷すに際して幹線街道の一つとして整備されたものです。名古屋城は東海道や中山道から離れているために木曽街道の整備が必要とされたのです。

仙台藩の大名行列の規模と経路

東北で最大の版図を誇る仙台藩は、江戸時代を通じて伊達家が治めた藩です。初代藩主は、あの有名な伊達政宗(伊達家十七代当主。仙台藩初代藩主。注1)です。

仙台藩は表高こそ62万石(注2)でしたが、実高は享保年間(1716~1736)には百万石を越えていました。江戸に米を輸出することで大きな利益を得ていました。『煙霞綺談』には「今江戸三分一は奥州米なり」とあるほどです。

そんな仙台藩の大名行列も大規模なものであり、四代藩主伊達綱村の時代には3500人という加賀藩に迫る程の大人数での大名行列を行っています。また、派手な行動で知られる初代藩主政宗の遺風なのか、その大名行列は華美なものでした。(幕末にはさすがに人数を減らして1600人ほどになっている)

仙台市博物館所蔵の仙台藩第四代藩主伊達綱村像。政宗の曾孫にあたる。3500人という大規模な大名行列を仕立てた。

仙台藩の大名行列の経路は奥州街道を用いるものです。奥州街道は五街道の一つでもあり、大手門・日本橋からはじまって、白河宿を通り、函館宿を終点とする街道です。仙台藩の本拠である仙台城の城下には仙台宿があるので、仙台藩の大名行列は奥州街道を利用するのが合理的でした。

以上、加賀藩・津山藩・薩摩藩・尾張藩・仙台藩の大名行列の規模や経路を説明しました。

注1 伊達家の第九代当主も伊達政宗と言い、有名な十七代当主伊達政宗と同名である。九代と十七代を区別する際には、九代をその官位から大膳大夫政宗とし、十七代を藤次郎政宗と呼び分ける。

注2 現在の宮城県全域と岩手県南部、福島県新地町の60万石と茨城県及び滋賀県に飛び地2万石が仙台藩の領地

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