数学が好きな方であれば、わかっていただけるかもしれませんが、「行列」と「正則」に反応する方がいらっしゃるようです。
大名行列は、行列なのか、正則なのかをSNS上で議論されている方がいて、大名行列を数学の行列に倣えて話せる方というのは、中々の知識の持ち主だと感心しました。
細かい数学の話はここでは割けますが、「行列」と「正則」にちなんで、福島正則と大名行列についてまとめます。
やや強引な気もしますが、賤ヶ岳の七本槍として活躍した福島正則と大名行列にまつわるお祭りがありますので、こちらについてもまとめます。
賤ヶ岳の七本槍とは?

賤ヶ岳の七本槍とは、羽柴秀吉と柴田勝家の間で行われた賤ヶ岳の戦いにおいて活躍した7人の若武者を指します。
1582年に織田信長が、本能寺の変で討たれ、後継者争いが勃発します。
最有力と目されていたのが古参の柴田勝家で、彼の妻は、浅井長政に嫁いでいた織田信長の妹のお市の方です。
一方、柴田勝家に対抗するのは、農民出身ながら織田信長のもとで勲功をあげていた羽柴秀吉です。
1583年に、この二人が賤ケ岳にて戦い、羽柴秀吉が勝利します。
この戦の結果に伴い、羽柴秀吉が織田信長の後継者として、天下統一に向け歩みを進めることになります。
そんな賤ヶ岳の戦いで活躍した7人の若武者について解説します。
福島正則
福島正則は、母親が秀吉の叔母と縁があったことから、幼いころから秀吉に仕えていました。
新参者の秀吉にとって、血縁関係にある正則は、数少ない信頼のおける家臣として可愛いがって育てます。
秀吉の下で、活躍を遂げたのち、秀吉の死後、石田三成と疎遠になり、関ヶ原の戦いでは徳川方について戦います。
その後、広島にて大名となり、「秀吉の一番槍」といわれる将として広く知れ渡ります。
晩年は、二代将軍秀忠と不和となり、秀忠の怒りをかって改易・転封となり安芸・備後50万石は没収されます。
加藤清正
加藤清正は、福島正則と同様に、幼いころから秀吉の子飼いの家臣として可愛がられます。
秀吉に従い、各地を転々としながら、数々の戦功をあげ、肥後北半国の大名に上り詰めます。
関ヶ原の戦いでは、豊臣秀頼を守るために、石田三成ではなく徳川家康につき活躍します。
その後は、熊本藩主になり、後世に語り継がれる熊本城を築き上げ、城づくりの名人としても知られています。
加藤嘉明
加藤嘉明は6歳の頃に父親と死別し、馬の売買をする人に養われていました。
そのころに秀吉に見いだされ、数々の武勲をあげます。
関ヶ原の戦いでは徳川方につき、その後、伊予松山藩および陸奥会津藩の初代藩主をつとめます。
平野長泰
平野長泰は、七本槍の中では大名になれませんでしたが、秀吉の天下取りの立役者として豊臣姓を名乗るなど、高く評価されていました。
秀吉の死後は、徳川家康に従い、関ヶ原の戦いの際には秀忠の元におり、本戦には間に合いませんでした。
家康にも評価されていたようで、二代目将軍の秀忠、三代目将軍の家光の代まで仕えました。
脇坂安治
脇坂安治は、1554年に近江国浅井群脇坂村にて誕生した武将で、和歌をたしなむ教養人としても知られています。
当初は明智光秀の与力として活躍しますが、自らの意思で秀吉の配下になります。
秀吉の死後、関ヶ原の戦いにおいて、当初は石田側につきますが、戦いの最中に寝返り、所領を安堵されました。
糟屋武則
糟屋武則は、1562年に播磨国にて生まれます。
賤ヶ岳の戦いでは、敵方の宿屋七左衛門を討ち取るなど活躍を遂げ、七本槍として評価されます。
関ヶ原の戦いでは、石田方についたため、戦いの後、改易されてしまいます。
晩年については諸説ありますが、正確なことはわかっていません。
片桐且元
片桐且元は、浅井長政に仕えていた片桐直貞の子として、1556年に生まれます。
賤ヶ岳の戦いで武功をあげ、秀吉の死後は秀頼の後見人として豊臣家を支えます。
関ヶ原の戦いの後、秀吉の側室である淀君と不和となり、豊臣家を去ります。
大坂の陣の後、秀頼と淀君の助命を嘆願しますが、叶わず豊臣家は滅亡します。
福島正則ど大名行列ににまつわるお祭り

賤ヶ岳の七本槍として名を上げた福島正則は、関ヶ原の戦いの後、広島に領地を得ます。
広島では、福島正則と大名行列にゆかりのあるお祭りがあるので、ご紹介します。
備後「お通り」は、広島県庄原市東城町で毎年11月に行われるお祭りです。
400年以上続く伝統行事で、大名行列など100人で練り歩く姿を見ることができます。
お祭りの始まりは、福島正則の家老である長尾一勝が城主に任じられ、もともとあった祭礼御興行列に武者行列を加えたこと興りだと言われています。
まとめ
ここまで、賤ヶ岳の七本槍と、賤ヶ岳の七本槍の1人である福島正則と大名行列にまつわるお祭りについてまとめました。
秀吉の下で活躍をした7人の若武者の大半が、その後、徳川方についたというのも、時代を感じさせる出来事です。
また、福島正則のお膝元であった広島にて、今もなお当時から続くお祭りがあるのも興味深いです。
本記事を参考に、賤ヶ岳の七本槍や、広島のお祭りに関心を持っていただけたら幸いです。
