MENU

財政を圧迫した大名行列が与えた経済効果はどの程度だったか

参勤交代時の大名行列には少なくない経費が掛かっていましたが、街道筋などでの消費もなされていたので、そういった場所への経済効果も相応のものがありました。この記事では、そういった経済効果について説明致します。

目次

大名行列の財政への負担

大名行列にはそれなりの経費が必要でした。

たとえば、加賀藩加賀藩十代藩主前田治脩の時代(1745~1810。藩主としては1772~1802)には、5500両の費用が必要であったと記録されています。

この時代の1両は概ね、3~5万円と換算できますので、5500両派現在の貨幣価値に換算すると1億6500万円~2億7500万円となります。相応の費用が必要だったことがわかる金額です。

ただ、たしかに参勤交代時の大名行列は財政への負担となりましたが、より大きな財政への負担となったのは、大名行列よりも江戸での滞在費・生活費でした。江戸時代の江戸は他の地域に比して物価が高く、また武士階級ならば、身分相応の振る舞いをするために必要な出費というものがあります。

月照寺所蔵の松平直政像。雲州松平家初代当主。

たとえば、雲州松平家が治めた松江藩(雲州松平家の時代は18万6千石の親藩)の明和五年から六年の記録を紐解くと、江戸での支出は全支出のうちの約30%となり、最も大きな支出となっていますが、参勤交代時の移動に要した支出は約5%程度であって、参勤交代時の大名行列による出費は決して軽い負担だったとは言えないものではありますが、江戸での支出が極めて重い負担になっていたことがわかります。

参勤交代の本来の目的は軍役なので、軍役を担う大名の経済状態が余りにも弱体化することは幕府も望みませんでした。ですので、幕府は「あまり派手にするな」「人員の数を少なくしろ」といったような指示を出していたりもします。

ちなみに、御三家のなかでは石高が最も少なく極官も他の二家よりも格下である水戸藩が、江戸定府であり参勤交代がなかったにも関わらず台所事情は火の車だったのは、有名な水戸黄門こと徳川光圀がはじめた修史事業(『大日本史』の編纂)といった金のかかることをやっていたこと、表高は35万石でしたが内高(実高)はより少なかったことなどに加えて、参勤交代が無く江戸定府=物価の高い江戸で常に生活せざるを得ないことから出費が嵩んだことも原因の一つです。

大名行列の経済効果

では、大名行列の経済効果を見ていきましょう。

参勤交代時の大名行列では、各大名の領地から江戸へと移動するわけですが、当然、途中の宿場町で宿泊することもあるわけです。

ということは、その宿場町での消費活動が行われるわけで、これが大名行列による宿場町への経済効果となります。

2023年3月まで神戸大学の教授を務められていた水谷文俊先生の試算によると、次のような計算が成り立つようです。

「全国の大名は225家。その石高の加重平均は約9万石なので大名行列の規模は10万石の大名行列の規定人数である230人から240人と仮定。一泊一人あたりの宿泊費は1.7万円。全国の約半数の大名家である113家が東海道を通過するものと考えたとき、一つの宿場町に落とされる金額は4億4千万円となるが、大名行列の1日当たりの行程は33㎞、東海道の宿場の間隔は10㎞なので、一つの宿場町が大名行列を迎える確率は3分の1。よって、一つの宿場町に落とされる金額は年間で1億4千万円となる。」(注)

要するに、宿場町の繁栄の要因の一つには、大名行列による経済効果があったと言えます。

また、大名行列は臨時雇いの人足を必要としていました。荷物持ちや槍持ちなどを臨時で雇うことは参勤交代時の大名行列では常態化していました。よって雇用の拡大もやっていたと言えます。

東福寺霊源院所蔵の伊達政宗像。仙台藩初代藩主。仙台藩の参勤交代によって喜連川宿が潤った。

面白いのが喜連川藩です。喜連川家は足利家の支族であったことから10万石の大名並みの格式で扱われましたが、そのような高い格式で扱われるということは、格式に相応しい出費があるということでもあります。喜連川藩の石高は4500石程度でしかなかったので、そういった出費は重い負担になりました。

しかし、喜連川は奥州街道の宿場町(喜連川宿)であったので、東北の大名が参勤交代時に喜連川宿を利用することが喜連川藩の財政の一助となってくれました。東北の大名といえば、特に石高が大きかったのは伊達家の仙台藩ですが、この仙台藩の参勤交代時には喜連川宿は大いに潤うわけです。

喜連川藩にとっては、仙台藩は大事なお得意様。仙台藩が喜連川宿を通り過ぎようとしても喜連川家の当主がお出迎えをして逃さない態勢を取っていたというのですから、仙台藩の参勤交代時の大名行列の経済効果が喜連川藩の財政の命綱になっていたことがわかるというものです。

仙台藩も経費削減のために喜連川宿を敢えて迂回して江戸に向かったことがあるのですが、そのときは喜連川家の当主が伊達家の当主に嫌味を言いに江戸に行ったという話も残っています。(喜連川藩は本来は参勤交代が免除されており、自主的に毎年12月に江戸に参府するだけだった)

以上、大名行列の財政への負担と経済効果を説明しました。

注)「」内は水谷文俊先生の試算の要約。詳しくはhttps://www.jttri.or.jp/no31-10.pdfを参照されたし。

ともだちにシェアする
目次