参勤交代時の大名行列では、江戸から遠い藩は長距離を移動しなければなりませんでした。この記事では、最も長い距離を移動した藩を紹介します。
最長距離は薩摩藩 長さ1700㎞の大移動!
江戸から最も遠かった藩は薩摩藩なので、参勤交代時の大名行列で最長の距離を移動しなければならないのも薩摩藩でした。
江戸へのルートは幾つかあります。一つは現在の宮崎県日向市の細島港までを陸路、細島港から大坂までは海路、大阪から伏見を経て、中山道あるいは東海道を使って江戸まで向かうというルート。
他にも、現在の鹿児島県阿久根市から長崎半島を回る形で現在の福岡県北九州市門司区まで海路で移動、本州に渡り陸路で江戸を目指すルートや、福岡県北九州市門司区からさらに海路で大坂まで移動し、陸路で伏見を経て中山道あるいは東海道を使って江戸まで向かうというルートもあります。
ただ、こういった海路を利用するルートは江戸時代前期には頻繁に利用されましたが、中期からは全行程陸路になっていきます。つまり、鹿児島から川内、阿久根と移動して現在の福岡県北九州市門司区までを陸路、本州に渡ってやはり陸路で大坂に、大阪からは伏見を経て、中山道あるいは東海道を使って江戸に向かうというルートでした。
江戸までの距離は1700㎞であり、また、薩摩藩は表高72万9000石(注)の大藩であったので、それなりの人員を引き連れていかねばならず、威儀を整えるため1000人以上の人員を連れていくこともあり、その費用も大きなものでした。

移動に要した日数(期間)は最長60日!
江戸時代は社会インフラの整備が進んだ時代でもあります。いわゆる、五街道の整備がなされたのも江戸時代です。
五街道とは、東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道の5つの街道を指しますが、これらは二代将軍秀忠によって基幹街道に指定されています。五街道は政治的・軍事的に重要な幕府直轄の街道であり、また、公用のためにも整備されたものであるので、当然、参勤交代でも利用されました。
幕府が特に重視していた東海道はよく整備されており、幕末に東海道を利用した英国公使オールコックは「欧州の最も良く整備された道にも比肩する」と高く評価していたりもします。
ところが、薩摩藩は江戸から最も遠い位置にあり、薩摩藩を通る別の大名もいないために街道の整備が遅れており、その分、苦労も大きくなってしまいました。
勿論、整備された街道も利用できるわけですが、1700㎞もの長距離の移動にはそれに応じた日数も掛かってしまいます。電車や飛行機、自動車などの近現代的な移動手段が無い時代、陸路を移動する手段は徒歩と馬、それに駕籠に限られます。
ですので、最長だと60日間もかかるほどの長旅となってしまいました。
以上、大名行列で最も長い距離を移動した藩である薩摩藩の移動ルートと日数などを説明しました。
注)薩摩藩の表高は、1609年時点では72万石、その後の高直しで77万石となるが、薩摩藩は耕作には適していないシラス台地(火山の噴出物からなる台地)がその領地の多くを占めるために、実高に換算すると35万石程度の収入しかなかった。また、藩内の人口のうち、40%が広義の士分であり人件費が財政に占める割合も高かった。このため、薩摩藩は財政の逼迫に長く苦しむことになる。
