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参勤交代の大名行列にかかる費用はどこから出ていた?

目次

参勤交代の費用はどこから用立てていたのか?

参勤交代の旅費以外の出費は何?

大名行列には旅費や人件費が主に費用の大半を占めているイメージを持っている方がいると思います。

しかし、実は旅費や人件費はそこまで占めてはいなかったのです。

今の金額に直すと片道で約5億5000万円、人件費は約7440万円はかかっていたので決して少ない額ではありませんが、それ以外にかかっていた費用がありました。

それは主に下記の費用になります。

  • 宿代・・・江戸まで行く際の宿泊代
  • 川越賃・・・川を渡る際にかかる人件費のこと
  • 他藩への贈答品や補償金・・・他藩を通るときにそこの藩主に贈る品やお金
  • 江戸で過ごす費用・・・藩主や家族の生活費、藩士の給金等

これらの費用だけでなく、将軍への献上品代、幕府の要人にも土産を用意しなければなりませんでした。

献上品は馬や銀が定番で渡しており、各藩で名産になっているものや初物を送っていました。

この献上品というのは藩の面子にかかっていたので、幕府に献上するものがどんどん高価なものになっていきました。

高価なものをそろえるのに各藩がどんどん送りあうようになり、マウント合戦になっていくのを幕府も規制をしませんでした。

このことも、各藩の財政を圧迫する原因となりました。

また、参勤交代で一番費用が占めていたのは最後の「江戸で過ごす費用」でした。

一年の大半を江戸で過ごす必要があり、

参勤交代の費用はどこから捻出していたのか?

それではこれらの膨大な費用はどこから作られていたのでしょうか。

基本的には自藩の年貢や税が主に参勤交代の費用に充てられていました。

江戸時代の藩主は年貢を米で徴収していました。

当時、全国各地の領主は年貢として集めた米を、食用米や備蓄米に蓄えている分を除いて作っていた米がありました。

その集めた米は基本的に市場で換金して、江戸や大阪などの主要都市に送ってお金を稼いでいました

集めた米は主要都市の蔵屋敷に集積されて、米問屋を経て販売をされていました。

このように領主や藩は、徴収した年貢米を販売することでそれを財源にして、参勤交代の費用以外にも領地のインフラ整備などに使っていたのです。

しかし、参勤交代で使う費用が支出の大半を占めてくるようになると、どんどん支出の費用が増えていったのです。

各藩の財政はひっ迫していくことになりました。

それでも参勤交代は定期的にやらなくてはいけないので、諸大名はお金を用立てるのに苦労していたのです。

年貢以外にお金はどこから用立てていた?

前述にもある通り、藩の収入は基本的には年貢になります。

他にはその地域によって特産物は違うので、その地域特有の特産物を江戸や大阪などの都市部に出して稼ぐという手もありました。

しかし、こんなに一生懸命稼いだ藩の収入も参勤交代の費用にどんどん消えていきました。

赤字になりつつある状況でありながら、どこからお金を用立てていたのでしょうか。

年貢では賄えなくなってくると、家臣に用立ててもらって負担してもらったのが多かったのです。

禄高に応じて家臣たちに献納を命じて、払わせるということをしていた藩もありました。

しかし、そうやって家臣に負担してもらうことで一時的にしのいだとしても、借金ばかりが膨れ上がり返済の見込みが立たなくなっていたのです。

家臣には負担してもらうだけで、節約をしなかったから財政が悪化してしたのでは?と思われる方もいると思います。

しかし、大名側も節約対策をしてもなお、出費が増えて返済ができなくなってしまいました。

費用の大半を占めていた人件費の削減の為、大幅に人員を減らしたり、宿泊費や食事代などの費用を削減して努力をしていました。

参勤交代が頻繁にあった当時は、本陣からの献上品に対して大名側はお返しという形で、金品を下賜するというのが慣例だったりしました。

その献上自体を断ることで、金品下賜を回避するということも経費削減の一つの手段でもありました。

そして他には仙台藩の「催合制(もあいせい)」という藩士相互の扶助制度をして、なんとかやりくりをしていたということもありました。

★催合制

あらかじめ藩士たちが自分のこと禄高に応じて、米を積み立てておきます。

江戸の参勤のお供をする時に、「催合殻」を換金して蓄えられていた「催合金」の分配を受けとるというシステムでした。

仙台藩のお金を出させることなく、相互扶助にすることで参勤に伴う費用を共に減らそうとする取り組みでした。

まとめ

みなさんいかがだったでしょうか?

今回は参勤交代の費用はどこから要立てていたのかという話をしました。

基本的には各大名ともに年貢の収入を充てているのが一般的でした。

先程述べた話は、財政が逼迫して払うすぺのない藩がやっていた方法になります。

こういった特殊なケースもあったのです。

それだけ大名側はあれこれ節約しても、賄えないケースがあったということですね。

米の相場が変動したことによって、商人に借金をするケースもあったので、参勤交代にかかる費用は膨大であったことがわかります。

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