江戸時代の参勤交代の費用は平均どのくらいだった?
参勤交代は人数だけでなく費用も膨大にかかっていたことは皆さんも、容易に想像できると思います。
人数の部分を見ても殿様のもとで働いている人だけではありませんでした。
荷物を持ち運ぶのに臨時で参勤交代の時にだけ、今のアルバイトみたいに一時的に雇っていた人もいました。
そして、各藩の石高によって参勤交代に連なる人数も違います。
まずは江戸時代に各藩どのくらい費用を使っていたのかを見ていきましょう。
江戸時代の参勤交代の人数と費用
参勤交代は1年おきに江戸と時刻を交互に行き来する制度でした。
遠方の藩は3年おきや6年おきと配慮されていましたが、物理的に距離が離れているため、費用は膨大にかかっていました。
しかし、江戸に近い藩でも毎年億超えの費用を出さなければいけませんでした。
これは制度によってきまっているとはいえ、各大名にとっては財政が逼迫する原因になっていました。
百万石で有名な加賀藩は片道だけで約5億円前後費用がかかっていたという記録が残っています。
そして、人件費だけでも別で約7000万円以上かかってもいました。
加賀藩は大名行列で最大約4000人を連れていたということもあり、毎回平均してこの費用が参勤交代でかかっていました。
そして、遠方の藩で有名な薩摩藩は片道だけでも約11億円前後の費用がかかっていたという記述が残っています。
人数も加賀藩まではいかないにしても、約2000人以上の行列を連なって江戸に行っていました。
石高によって費用や人数は変わってくるため、石高のトップ3の藩は約1000人以上の人を動員せざるを得ませんでした。
本当に旅費でこの金額がかかっていたのでしょうか。
加賀藩も薩摩藩も他に何の費用がかかっていたのか、次で説明していきたいと思います。
参勤交代の費用は他は何に使われていたのか
ここでは先ほど例にも挙げている加賀藩や薩摩藩は、参勤交代の何にお金を使っていたのかを見ていこうと思います。
実は前述した費用は往復の旅費だけの金額でした。
それ以外にも費用はさらに追加で払わなければならなかったため、他にかかっている費用の例は以下になります。
- 宿泊代・・・道中の宿場で利用する際の費用
- 川越賃・・・川を渡る時に流れをせきとめる人件費
- 贈答品、補償金・・・他藩を通る際に藩主に贈る費用
- 江戸の藩邸で使用する費用・・・藩主とその家族が過ごす生活費、藩士の給金、等
実は4番目の江戸で使用している費用が支出の半分から3/4を占めていたのです。
旅費を今の金額に直しても、かなりの金額(今でいう皇室の方や国の要人の警備費ぐらい)がかかっていることがわかります。
しかし、それ以上に江戸での生活費に費用がかかっていたということに驚きかと思います。
毎回の出費が積み重なり、藩の財政を圧迫させていたということが容易に想像できますよね。
参勤交代で臨時に雇っていた人数と値段は?
前述でしている通り、参勤交代には莫大な費用がかかっていた。
しかし、その費用を最初は出すことができていた諸大名も、だんだんと費用を削減するようになっていきました。
諸大名は少しでも費用を抑えるために、自藩から連れて行く人数を削減してその道すがら人を雇っていくようになりました。
大名行列といっても城から宿場町まではある程度の藩士を連れて行っていたが、人が多い宿場町からは臨時で人を雇って人数が多く見えるように水増しをしていたのです。
主に臨時で雇われていた人は「通日雇」(とおしひやとい)と呼ばれていました。
彼らは侍の身分は持っていない人たちであり、「六組飛脚問屋」というところが派遣をしていました。
今でいう人材派遣会社と同じですね。
当時は各宿場ごとに人を雇って、また違う宿場で人を変えてというリレー方式で行列を連れていました。
その費用だけで膨大な費用がかかっていたので、自藩から江戸まで一貫してついて来てくれる「通日雇」の存在は大名行列には欠かせないものになっていました。
なおかつ、宿場で人を雇うよりも出費を抑えることができるのであれば、使わない手はないですよね。
そして、江戸に入ってからも「渡り者」という臨時アルバイトを雇っているところもいたようです。
この渡り者というのは、江戸の入り口の宿場(品川宿など)でたむろしている人たちのことを指します。
そして、身なりもきちんとしていない人たちであったことから、その人たちに最低限の身なりを整えさせて江戸に入るということをしていました。
こういう渡り者を雇うことで江戸に入った時に、すごい人数を連れてこの藩は来たと思われるように工夫をしていたのです。
大人数で大名行列をすることは、この藩はすごいと江戸の人たちを圧倒することができると各藩が思っていました。
現に石高がトップの加賀藩の人数が、圧倒していることを物語っていますよね。
そのため、どの藩も大人数にこだわっていて、ありとあらゆるアルバイトを雇っていたのです。
上記のことから、ここまでして見栄えを気にしていたということがわかると思います。
それだけ自分の藩を誇示するためのイベントであり、権力を示すことができるものだったということです。
そのぐらい自国の威信にかけて、参勤交代を各々がやっていたということがこの記事でわかると思います。
