加賀藩は特に規模が大きい大名行列を仕立てていましたが、その加賀藩の大名行列を描いたものとして、『加賀藩大名行列図屏風』という作品があります。この記事では、『加賀藩大名行列図屏風』を説明します。
『加賀藩大名行列図屏風』とは?
明治元年生まれの浮世絵師巌如春(いわおじょしゅん、1868~1940)とその兄弟子にあたる四井芦雪らによって描かれた作品です。
巌如春は、歴史考証を踏まえた上で加賀藩時代の題材を描くのが得意な絵師であり、郷土教育に協力するなど、加賀藩郷土史研究に功績のあった人です。
『加賀藩大名行列図屏風』も以前は、巌如春の作品であると考えられていましたが、1999年に巌如春の兄弟子四井芦雪が線描を担当し、巌如春自身は彩色を担当したことがわかりました。
『加賀藩大名行列図屏風』には、473人の人物、駕籠4丁、馬14頭が描かれており、白馬に載っているのが加賀藩を治めた前田家の大名です。現在は、石川県立歴史博物館の所蔵品となっています。

実際の加賀藩の大名行列の規模
『加賀藩大名行列図屏風』に描かれているのは473人だけですが、実際の加賀藩の大名行列は2000人以上で、最大では4000人でした。加賀藩は諸大名のなかでも最大の百万石を越える表高を誇る大藩であり、万石越えの高禄の家臣もいた(注1)ので、それほどの大規模な大名行列となりました。ちなみに江戸までは12泊13日の旅程でした。
また、加賀藩を治める前田家は極官(注2)も従三位参議(宰相)と高位であり、伺候席も大廊下席の下之部屋(注3)と外様大名として最も格式が高いものでした。
以上、『加賀藩大名行列図屏風』の説明でした。
注1 5万石の本多家、3万3千石の長家、3万石の横山家、1万7千石の奥村宗家及び1万2千石のその奥村家の分家、1万6千5百石の村井家、1万4千石の今枝家、1万石の津田家など。
注2 その人物が受けた叙任のなかで最も高い官位のこと。江戸時代の武家官位は公家の官位とは切り離されており、公家の昇進を妨げることがないようにされていた。また、武家官位の任命者は実質的には将軍となり、大名・旗本に朝廷から直接、昇進の推挙があったとしても、将軍の許可を得なければならなかった。前田家は従三位参議が極官とされたが、第十二代藩主の前田斉泰は正三位権中納言(位階は明治17年に正二位)まで昇叙している。
注3 大名・旗本が将軍に謁見するために江戸城に登城した際、謁見の順番を待っていた控え席のことを伺候席といい、家格などで、どの伺候席で謁見を待つかが定めらていた。大廊下席は、将軍の親族である原則として御三家・御両典が詰める席である。また、大廊下席は上之部屋と下之部屋の二つに分けられていた。御三家・御両典は上之部屋に詰めており、二代将軍秀忠の兄である結城秀康を祖とする越前松平家(津山藩と福井藩)、五摂家の鷹司家出身であり紀伊徳川家の徳川頼宣の次女を正室に迎えたことで紀伊徳川家の御連枝一門となった鷹司信平(松平信平)を祖とする鷹司松平家が下之部屋に詰めていた。前田家は先述したように大廊下席の下之部屋。
