参勤交代時の大名行列は見る側だった民衆にも強烈な印象を残しました。今回の記事では、浮世絵に描かれた大名行列について説明します。
華やかな浮世絵に描かれた大名行列!
そもそも浮世絵とは何? 浮世絵を確立した絵師 菱川師宣
明暦の大火(注)の後、江戸の再建に伴う都市圏の拡大・整備により町人の経済力が強くなると、それまでの風俗画も成長する町人階級の要求に応じたものへと変化していきます。
戦国武将荒木村重の子であった岩佐又兵衛の画風は浮世絵の源流の一つともなり、彼が開いた岩佐派の絵師たちが描いた風俗画は、明暦の大火後のそういた変化のなかで旧来の風俗画と浮世絵を繋ぐものとなりました。
こうした流れにおいて、浮世絵を確立させたのが菱川師宣です。
「浮世」という言葉には様々な意味があり、時代によっても異なりますが、江戸時代においては、享楽的な世の中という意味になり、そこから当時に流行した風俗を指し示す当世風という意味にもなりました。つまり、浮世絵とは江戸時代当時の流行を描いた絵とも言えます。
当初、浮世絵は絵入り本の挿絵として使われました。版画にすることで大量生産化が可能になり、価格も安くなり、民衆に普及していきました。
菱川師宣は、こうした絵入り本の挿絵としての浮世絵から発展させて、独立した絵画としての浮世絵を確立した人でもあります。

浮世絵に描かれる大名行列
江戸時代の風俗が描かれた浮世絵には、平和な時代が長く続いたことによって華美なものになっていた大名行列も描かれることになります。
大名達は自分達の家格や威信を示すためにその行列を華美なものに、つまり、人目を惹くものに仕立てましたから、大名行列は浮世絵の題材の一つともなりました。

こちらは、歌川広重の『東海道五拾三次之内 日本橋 朝之景』(東京富士美術館所蔵)です。
東海道の起点でもある日本橋の朝の風景を描いたもので、朝の空を背にして大名行列が橋を渡っていくさまと魚河岸から棒手振りの魚屋、野菜屋、犬の姿を見ることができます。

こちらは、歌川広重(二代、1826~1869)の作である「花廾曙錦の行烈」(はなのあけぼのにしきのぎょうれつ)です。
幕末の1863年、仁孝天皇の第八皇女和宮親子内親王と結婚した十四代将軍家茂の上洛の様子を描いた作品とも言われますが、断定はできません。大名行列では、家紋入りの挟箱など、どの家の大名行列なのかを識別できるものがありますが、この浮世絵に描かれた行列には挟箱はあっても、家紋が入っていません。
よって、浮世絵に描くことが禁止された徳川将軍家の行列であると考えれますが、どの将軍かまでは断定できないのです。
ただ、先述した十四代将軍家茂の上洛は三代将軍家光以来の将軍の行列であったので、歌川広重(二代)の生きた時代を考えても、十四代将軍家茂の上洛の様子を描いたものと考えるのが自然です。
以上、浮世絵に描かれた大名行列について説明いたしました。
注 明暦の大火とは、明暦3年1月18日から20日(1657年3月2日から4日)に発生した都市災害。江戸の大半を焼く大火災となった。
